岡佑吏くんはおもちもち

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アイドルという職業について考えてみた話

アイドルという職業およびそのファンについて考えてみた。


私はアイドルが好きだ。
基本的にスキャンダルや女性問題が出てこなそうなアイドルを好きになる傾向が強い。(どちらかというと私生活がおとなしくて、学校にいても目立つタイプではなかっただろうアイドルが好きだ)
自身の指向には恵まれたタイプだと思っている。

 

アイドルのような自分自身を売り物にしている職業は、プライベートの自由が制限される。有名税なのだろうか。
Wikipediaより…
有名税(ゆうめいぜい)とは、有名であるが故に、知名度と引き換えに生じる問題や代償を税金に例えた単語。主に、有名になることでマスコミや大衆の注目が集まり、プライバシーが阻害されること。

 

私たちが当たり前のように享受している「自由」、「進学、恋愛、結婚、友人関係、睡眠」についても制限を強いられながら、日々様々な目を気にして生きていく必要があるのだ。
私たちは自分が心底幸せになってほしいと願っているアイドルから「私たちが当たり前のように享受している普通」を奪っている。しかし私たちはその「普通」を享受して生きているのだ。

なんと矛盾していることなのだろうか。

 

少し話はずれるが、大西流星くんのエピソードにこんな話がある。
高校3年生のとき大西流星くんは大学進学を迷っていたという。
そこにアドバイスをしたのがお父様で、
「学びたいことがあったら今じゃなくてもチャンスはある、
けれどアイドルとして仕事をするのは今を逃してはいけないのではないか」と…。
確かにアイドルとして、18歳〜22歳は魅力的に輝く大事な時期で学業と並行して行う場合、幾ばくかのチャンスを逃してしまう可能性もあるだろうと考えられる。
しかし、現役の大学生として同世代の仲間と共に学び、遊び、羽目を外せる大学生活を過ごすことができるのはたった1回のチャンスしかないのではないだろうか。

実際に自分自身大学生活は楽しかったし、例えば30歳になってから大学に入り直したとして同じ経験ができるだろうか。いやできるはずがない。

そのチャンスと天秤にかけ、またお父様の助言を受け、大学に進学せずにアイドルをするとしての道を選んでくれたのだ。ファンとしてはお父様にも頭が上がらない。

しかし、このようにも考える。

「私たちが当たり前のように享受している普通」を奪われているからこそアイドルはアイドルなのであり、ファンにとっての偶像崇拝の対象となっているのだ。
「私たちが当たり前のように享受している普通」が奪われていなければ、それは同じフィールドで生きている大衆になるのだ。

アイドルをしている方々に尊敬の思いはありつつ、
自分自身がどうして輝けているのか、自分の価値についてもう一度考えてみてほしいと思いました。

 

結局一度好きになったらずっと好きなんですけどね!!!!!

 

2023年6月中旬に感じたことをいまさらまとめてみました・・・。